2011年2月20日日曜日

イエス様の愛に導かれて

(この証は,2011年1月23日にバプテスマを受けた女性のものです。)

私が小学校低学年の頃,通学路の途中に教会があることを目にしていました。

いつの間にか教会の前にある白い看板の「日曜学校」という言葉に目が留まり,来る日も来る日も「日曜学校」が気になり,一度行ってみたいと思うようになって,何かに引かれるようにして初めて教会に行きました。

イエス様が十字架にかかり死なれたこと,3日目によみがえられたことを教えてもらったり,アニメになっていたイエス様の歩みを見せてもらった記憶を,古川教会に来るようになって思い起こされてきました。

小学生だったあの時の私にとって,教会は,居やすい場所だったと思います。

しかし,年月が過ぎゆく中で,この世の様々な思いに目や心が向いてゆき,自分の欲望のままに歩み,自分がいいように見られたくて,人に愛情を求めては人の心を傷つけ,時には恨んだり,憎んだりしてきました。

いつしか何かを求めるようになり,ある宗教に10年の間居ました。

そのようなある時,Aさんから教会に通っていることを聞いて,

「教会に来てみない?」

と,何度かの誘いの言葉をかけてくれたことで,不思議と教会に導かれていくようになりました。

また,我家の3人の子供達は,日曜O-BIGに行き始めるようになって,家に帰って来ると生き生きとした表情で輝いているのを不思議に感じていました。

そして,自然と私も,イエス様のことを知りたいと願い,Bさんにより学びを受けるようになり,聖書を求めるようになりました。

少しずつ学ぶようになってゆく中で,イエス様が十字架にかかって死なれたのは,人の罪のためであったことを知りましたが,2千年前のイエス・キリストが今の私と何が関係しているのだろうという思いに捕らわれていきました。

その頃,子供達がO-BIGで貰って来た1枚の「ミコトバ」のカードに目が留まり,何度も読み返す中で,自分の心に響いてくるものを感じました。

「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」第1ヨハネ316

アーメン。

この「ミコトバ」によって,イエス様は,この私の為に,身代わりとなって十字架にかかり,私のために身代わりとなって命をも捨てて下さったお方なんだと,何とも言いようのない思いに心が変わってゆくのを感じました。イエス様の深い深い愛に触れることで,私を愛して下さるのは,イエス様だけなんだと思った瞬間,涙が急に溢れ出てきて胸が締め付けられる思いになり,じわじわ温かいものが流れてきました。

この「ミコトバ」に心を動かされて,平成20214日に,思い出した一つ一つの自分の罪を,イエス様の十字架の御前に告白して悔い改めました。そして,主イエス様の十字架の血潮によって罪が赦されて救われたことを心から感謝します。主イエス・キリストこそ,我が救い主であることを信じます。アーメン。

日々の生活の中では,自然と讃美が頭に流れて口ずさむようになり,それによって慰められたり,励まされたり,主イエス様の一方的な深い憐れみと恵みを受けている者であると心から感謝の気持ちで一杯です。

朝方,早くに仕事に向かう夫を見送った後に,聖書を開くことを心に決めて,今は毎朝に,聖書を開くことが習慣となって,神様から力付けられています。

そして,飯塚先生を始め,皆様には日々絶えず祈って頂いていることを覚えて感謝しています。足りないところだらけの私ですが,神様の導きのもとで,皆様と共に歩んでゆきますので,これからもよろしくお願いします。

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